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元気の出る聖書の言葉(5月17日)

「あなたの一生を 良いもので 満ち足らせる。」 (詩篇103篇5節) このような御言葉があることに驚きです。 信仰の一生は素晴らしい一生であり、 かけがえのない一生です。 まさに神の栄光をあらわす人生です。 今日一日あなたの歩みの上に 神の豊かな祝福をお祈りいたします。

元気の出る聖書の言葉(5月16日)

「あなたがたは以前は闇でしたが、 今は、主にあって光となりました。」 (エペソ人への手紙5章8節) パウロは自分自身で栄光を輝かせていました。 ですから、主の教会を熱心に迫害したのです。 けれども復活の主イエスに出会い、 変化したのです。 主イエスが、...

元気の出る聖書の言葉(5月15日)

「くじは膝に投げられるが、 そのすべての決定は主から来る。」 (箴言16章33節) 旧約の時代だけでなく、 新約の時代の教会でも くじをすることがあります。 そこには主の導きがあるのです。 くじと占いとは全く違うものです。 占いをすることは罪ですから。...

元気の出る聖書の言葉(5月14日)

イエスが来て彼らの真ん中に立ち、 こう言われた。 「平安があなたがたにあるように。」 (ヨハネの福音書20章19節) 平安とは「シャローム」、 主イエスは弟子たちが不安な時に 「シャローム」と語り、 愛する者を招かれるお方です。 小学生の時、友人の誕生日会に招かれた招待状は...

元気の出る聖書の言葉(5月13日)

「顔が、水に映る顔と同じであるように、 人の心は、その人に映る。」 (箴言27章19節) 「頭隠して、尻隠さず」という言葉があるように、 自分では隠しているつもりが隠せてないことがあります。 人間の心は相手に見えてしまっていることがあります。...

元気の出る聖書の言葉(5月12日)

「あなたは、わたしに従いなさい。」 (ヨハネの福音書21章22節) 主イエスは特別にペテロに言いました。 「あなたは、わたしに従いなさい。」 私たちは家族や友人の声を、 あまりにも聞きすぎて、 神の声を聞く耳をもたなくなるのです。 しかし、大事なのは、...

◆5月12日(日)「両親に仕える主イエス」

ルカの福音書2章41~52節 主イエスの少年時代のことは、 ルカの福音書のみ触れています。 しかし、ここ(ルカ2章)でも、 私たちは神からの強いメッセージを知ることができます。 主イエスは、 Ⅰ、神の子としての目覚め 主イエスは30歳になって神の子としての目覚めがあったとい...

元気の出る聖書の言葉(5月11日)

「わたしは、高く聖なる所に住み、 砕かれた人、へりくださった人とともに住む。」 (イザヤ書57書15節) ある牧師が「イエス様は寄り添うお方」と 強調して説教されていたことがあります。 私たちは寄り添いたい人もいますが、 寄り添いたくない人もいます。...

元気の出る聖書の言葉(5月10日)

「主よ、あなたはすべてをご存じです。」 (ヨハネの福音書21章17節) ペテロの告白は正しいです。 私たちの神は全知全能の神です。 ですから神に隠し事はできません。 ペテロのような信仰をもって 生きていきましょう。 そのことが主イエスへの信頼になるのです。...

元気の出る聖書の言葉(5月9日)

「わたしは彼らの悲しみを喜びに変え、 彼らの憂いを慰め、楽しませる。」 (エレミヤ書31章13節) この言葉は預言者であるエレミヤの告白です。 エレミヤには神の霊が注がれ、 新しく造りかえられたのです。 ここの「悲しみ」は、新共同訳聖書では 「嘆き」になっています。...

元気の出る聖書の言葉(5月8日)

イエスは彼らに言われた。 「さあ、朝の食事をしなさい。」 (ヨハネの福音書21章12節) 私たち牧師家族には、 一つのルールがありまして 家族は共に朝の食事をとること。 それはこの御言葉から来ています。 主イエスはこの御言葉を通して、 共に厳しい時代を生きましょうと言われて...

元気の出る聖書の言葉(5月7日)

「地は茫漠として何もなく、 闇が大水の面の上にあり、 神の霊がその水の面を動いていた。」 (創世記1章2節) この御言葉で、昔の人のように 自身も、混沌とした自分自身に向き合うことが あるかも知れません。 秩序なく、心そのものが混沌として、...

元気の出る聖書の言葉(5月6日)

「見ないで信じる人たちは幸いです。」 (ヨハネの福音書20章29節) 弟子のトマスに言った主イエスの言葉ですが、 時おり胸につきさす言葉です。 人は目に見えるもののみを信じるからです。 信じられない、受け入れられない境遇の中でも 主イエスを信じなさいとの声を聞くように...

元気の出る聖書の言葉(5月5日)

「神はご自分が造った すべてのものを見られた。」 (創世記1章31節) 新共同訳聖書では、「御覧になった」と 訳されています。 神は神ご自身が創造したものを愛し、 御覧になられる方です。 そのことを思う時、私たちも神の作品ですから、神が常に御覧になられると思うと...

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