top of page
  • 執筆者の写真faith

1月29日(日) あわれみ深くなりなさい

ルカの福音書6章36節


平地の説教のなかで父なる神が憐れみ深いお方であることをイエス・キリストは語ります。主イエス・キリストは父なる神を「いと高き方」(35)と呼び、そのいと高き方があわれみ深いというのです。


Ⅰ、あわれみ深い天の父(36節)

35節に「いと高き方は、恩知らずな者にも悪人にもあわれみ深いからです。」とあり

ます。

英語ではあわれみはmercyで恵みはgraceです。この区別はほとんどなく、重なりあって

います。

ある学者は「恵み」は神の動機であり、「あわれみ」は現実の現れであると説明していま

した。そしてこのあわれみは苦しんでいる人に寄り添い、その人の苦しみを負うことです。

別の言い方では共感するともいえます。


Ⅱ、あわれみ深いイエス・キリスト

神の子なるイエス・キリストもあわれみ深いお方です。「イエスは舟から上がり、

大勢の群衆をご覧になった。そして彼らを深くあわれんで」(マタイ14・14)と

あります。


Ⅲ、あわれみ深くなるためには

私たちがあわれみ深くなるためにはどうしたらよいのでしょうか。

それを実行するには、私たちの道徳心・努力では不可能です。

それではできないのかと思うかも知れませんが、神のもとに行くことで、そのことが可能と

されます。

またイエス・キリストもよく祈られました。祈りの中で父なる神のあわれみに満たされたのです。私たちも父なる神のもとに行くこと、また、祈りのなかで与えられるものです。

子なるイエス・キリストが罪を赦されたように。

私たちもその神のあわれみの愛を知り、受けるならば、私たちの内に大きなあわれみの力が湧き上がり、愛する力・赦す力が溢れ出るのです。

閲覧数:2回0件のコメント

最新記事

すべて表示

ルカの福音書7章1~10節 先週の礼拝で、同じ聖書箇所より「み言葉の力」と題して説教をしました。 確かにここはそのような内容でしょう。しかし、別の視点から見てみると、今日お話しするようにも理解できるのです。 イエスがなされたわざはすべてといっていいほど恵みのみわざなのです。 そして、人は神の恵みによって救われ、生きるのです。イエスの十字架も私たちが罪から救われるためなのです。 Ⅰ、資格のない者に与

ルカの福音書7章1~10節 本日から、ルカの福音書7章に入ります。最初に百人隊長が登場します。 百人の部下がいる人です。そのうちの一人(自分のしもべ)が重い病気になり、 イエスのもとに「自分のしもべを助けてください」とユダヤ人の長老をおくり、 伝えたのです。部下思いのこの百人隊長。この人のその後の行動に注意していきましょう。 Ⅰ、異邦人である百人隊長 この百人隊長は異邦人であり、ローマ人ではないか

本日のメッセージは宮崎友子師がご奉仕してくださいました。 伝道者の書3章1~11節 「天の下のすべての営みに時がある。」(1)のみことばから、 Ⅰ、初めがあれば終わりがあります。 「生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。」(2) 誕生と死について、私たちの人生のなかで、自分の顔をまじまじと他者から見られる時が 2度あります。 生まれた時と死んだ時です。前者は笑顔で見られ、後者は涙と嗚咽のなかで・

bottom of page