ルカの福音書6章36節
平地の説教のなかで父なる神が憐れみ深いお方であることをイエス・キリストは語ります。主イエス・キリストは父なる神を「いと高き方」(35)と呼び、そのいと高き方があわれみ深いというのです。
Ⅰ、あわれみ深い天の父(36節)
35節に「いと高き方は、恩知らずな者にも悪人にもあわれみ深いからです。」とあり
ます。
英語ではあわれみはmercyで恵みはgraceです。この区別はほとんどなく、重なりあって
います。
ある学者は「恵み」は神の動機であり、「あわれみ」は現実の現れであると説明していま
した。そしてこのあわれみは苦しんでいる人に寄り添い、その人の苦しみを負うことです。
別の言い方では共感するともいえます。
Ⅱ、あわれみ深いイエス・キリスト
神の子なるイエス・キリストもあわれみ深いお方です。「イエスは舟から上がり、
大勢の群衆をご覧になった。そして彼らを深くあわれんで」(マタイ14・14)と
あります。
Ⅲ、あわれみ深くなるためには
私たちがあわれみ深くなるためにはどうしたらよいのでしょうか。
それを実行するには、私たちの道徳心・努力では不可能です。
それではできないのかと思うかも知れませんが、神のもとに行くことで、そのことが可能と
されます。
またイエス・キリストもよく祈られました。祈りの中で父なる神のあわれみに満たされたのです。私たちも父なる神のもとに行くこと、また、祈りのなかで与えられるものです。
子なるイエス・キリストが罪を赦されたように。
私たちもその神のあわれみの愛を知り、受けるならば、私たちの内に大きなあわれみの力が湧き上がり、愛する力・赦す力が溢れ出るのです。
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