テモテへの手紙第二4章2~4節
1月第一主日は新年礼拝で、
2025年度の教会の標語と聖句より語ります。
自分自身、どちらかというと積極的というより消極的になったり、
どこかあきらめているところがあることを強く示され、
このテモテへの手紙を読んで、
パウロの緊迫した思いが伝わってきたのです。
また教会の使命は、やはり宣教であることを
改めて教えられたからです。
1月13日の教区拡大役員研修会の午後の時間は分科会ですが、
そこに伝道、青年伝道という分科会があり、
第一希望にしている方がおられ私自身励まされたことです。
私たちが宣教するというときに何をするのかというと、
Ⅰ、御言葉で養われること(マタイ4・4)
マタイの福音書9章で、
主イエスの周りにいた群衆が「弱り果てて倒れていた」と
あります。
なぜ弱り果て、倒れていたのか、と
私はその前の記事35節の「病気」、「わずらい」であったからと
理解していましたが、
ある牧師の説教を聞くいた時に、
御言葉に養われていないからだと語られました。
確かに主イエスは言われました。
「人はパンだけで生きるのではなく、
神の口から出る一つ一つのことばで生きると書いてある。
(マタイ4・4)」と。
やはり伝える本人が
御言葉で養われている必要があるのです。
Ⅱ、御言葉を宣べ伝えること(Ⅱテモテ4・2)
御言葉を宣べ伝えることは
牧師、伝道師のみだけではなく、私たちが知る
主イエスの降誕、十字架、復活、再臨などや
主イエスの教えを伝えることも、
御言葉を伝えたことになります。
御言葉を伝える働き人のために祈ることも大切ですが、
自らが友人たちと聖書を読んだり、教えたり
そのことをするとき、神が働かれるのです。
刈り取るお方は主ご自身です。
私が最初に聖書を自分で購入したのは中学2年生です。
その時の担任が社会の先生で、
「社会の先生になりたいと思うなら聖書を買い、読むことを勧める」
と言われたことが忘れられません。
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