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◆10月16日(日) 「触れられる神」

更新日:4月11日

マルコの福音書1章40節~42節


4つの福音書を読むとたびたびイエス・キリストは人と触れる機会を持ちました。

今コロナ禍であり、人に触れることが難しい時となっていますが、イエス・キリストは

異なるのです。また聖書でツァラアトの方がよく出てきます。ナアマンもそうです。

当時ツァラアトは神の祝福を失った人のしるしであり、また疎外されていた人でした。

家族からも離れ、レビ記13章46節を見ますと。宿営の外で一人で住むなくてはなり

ませんでした。イエス・キリストはどういうお方か。


Ⅰ、時代に逆行するお方(41節)

私たちは時代の波に影響を受け、流行の服や靴などを着たり履いたりします。

現代社会は機械化され、人と触れることがなくても生きていけるシステムになっています。しかし、イエス・キリストは昔も今も変わらず、時代に逆行するお方です。


Ⅱ、ツァラアトに触れられるお方(41節)

人と交わりをもたない人、孤独な人に対してイエス・キリストは探し、選び、触れられるのです。そこには常識を超えた深い愛があります。

「イエスは愛で満たす 聖霊で満たす」お方(聖歌208)です。


Ⅲ、問題を解決できるお方(42節)

「イエスは深くあわれみ」とあります。この言葉は「断腸の思い」という言葉の意味の

ように痛みを感じるほどの思いです。このツァラアトの人を、孤独と苦しみに追いやる

人々への怒りをもち、告げている言葉でもあります。そしてこの人の問題を解決できた

お方です。「すぐにツァラアトが消えて、その人はきよくなった。」(42)とあります。イエス・キリストは神の子であり全能なる神です。

「神にとって不可能なことは何もありません。」(ルカ1・37)

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