ヨハネの福音書18章38節~19章16節
〈本日は岡﨑孝志先生がメッセージのご奉仕をしてくださいました。〉
〈本日から10月31日までの礼拝はオープン礼拝メッセージです。〉
「人生は出会いで決まる」と言われますが、賛美歌121番(新聖歌99番)の由木康の歌詞に「この人を見よ」とあり、今日のメッセージはそれを題材としました。この歌詞にはイエス・キリストの生涯が記されています。
ヨハネの福音書にも、ピラトがイエス・キリストのことを指さして言った言葉があります。それは「見よ、この人だ。」(5節)です。ラテン語では「エッケホモ」で直訳では「この人を見よ。」となります。このお方、イエス・キリストはどのようなお方か、集中してみましょう。
Ⅰ、罪を見いだせないお方(19章4節)
ピラトが言った言葉に「私にはあの人に何の罪も見出せない」とあります。裁判官の立場でこのように言うことに真実性があります。
Ⅱ、バラバの代わりに十字架にかかられたお方
(18章39,40節)
強盗であったバラバを赦し、罪を見いだせないお方イエス・キリストを人々は選び、十字架につけたのです。このことは人間の悲劇です。日本語の辞書に「愛ではじまったのに腕力で終わる」と言った人がいます。政治犯でもあり、人気があるバラバですが強盗であり、強盗とは暴力で奪い取る人です。
Ⅲ、愛のあるお方
イエス・キリストはこの後、すぐに十字架にかかられます。「完了した」(19・30)とは愛の御業を成し遂げた言葉です。イエス・キリストはすべての人の罪人を救うために父なる神から派遣されたお方。ユダヤ人だけでなく、異邦人さえも愛されたイエス・キリスト。すべての人の救い主なるお方「この人を見よ。」
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