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11月20日(日) 幸いと哀れ

ルカの福音書6章20~26節


ルカの福音書6章20~26節には「幸い」が4回、「哀れ」が4回出てきます。

「哀れ」は口語訳聖書では「わざわい」とあります。つまり祝福と呪いの言葉が

並んでいるのです。


確かに現実の社会も、光と闇が交差し、そのため私たちキリスト者は喜んだり、

悲しんだりするのものです。また現代の社会では光よりも闇の方が優勢に見えたり、

喜びよりも悲しみの方がずっと多いのです。


ここでの聖書箇所は神の国の生き方をも教えています。「神の国はあなたがたのものだから」です。


Ⅰ、人は思い違いをしていること

貧しくなったり、飢えたりすることが幸いとされ、富を持つことが哀れであり、

今満腹していることが哀れだとイエス・キリストは言います。

イエス・キリストが間違ったことを言うはずがないなら、私たちが反対のことを願う時、

それは思い違いをしていることになります。


Ⅱ、預言者と偽預言者の言葉

預言者たちが23節、偽預言者たちが26節を発言しています。

そして預言者たちと偽預言者たちは正反対のことを言っています。

預言者たちの目は天に、偽預言者たちの目は人に向けられ、天とは神を指しています。


Ⅲ、隠された奥義

「天においてあなたがたの報いは大きい」(6・23)と主イエス・キリストは言います。

そして、「神はあなたを見ており、その姿、その信仰の姿に対して大きな報いがある」と

伝えています。

私たちは人からの報いを求めやすいものです。

人は世の中で幸いを求めていますが、そこには不幸が隠されてあり、

哀れさがあるのです。

この世での報いを受けすぎるとき、天においての報いを受けることは少ないと、

ここでは言われています。

神の国の生き方とは肉欲・貪欲に支配されずに生きることと、神への揺るがない信仰が

必要です。

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