ルカの福音書6章20~26節
ルカの福音書6章20~26節には「幸い」が4回、「哀れ」が4回出てきます。
「哀れ」は口語訳聖書では「わざわい」とあります。つまり祝福と呪いの言葉が
並んでいるのです。
確かに現実の社会も、光と闇が交差し、そのため私たちキリスト者は喜んだり、
悲しんだりするのものです。また現代の社会では光よりも闇の方が優勢に見えたり、
喜びよりも悲しみの方がずっと多いのです。
ここでの聖書箇所は神の国の生き方をも教えています。「神の国はあなたがたのものだから」です。
Ⅰ、人は思い違いをしていること
貧しくなったり、飢えたりすることが幸いとされ、富を持つことが哀れであり、
今満腹していることが哀れだとイエス・キリストは言います。
イエス・キリストが間違ったことを言うはずがないなら、私たちが反対のことを願う時、
それは思い違いをしていることになります。
Ⅱ、預言者と偽預言者の言葉
預言者たちが23節、偽預言者たちが26節を発言しています。
そして預言者たちと偽預言者たちは正反対のことを言っています。
預言者たちの目は天に、偽預言者たちの目は人に向けられ、天とは神を指しています。
Ⅲ、隠された奥義
「天においてあなたがたの報いは大きい」(6・23)と主イエス・キリストは言います。
そして、「神はあなたを見ており、その姿、その信仰の姿に対して大きな報いがある」と
伝えています。
私たちは人からの報いを求めやすいものです。
人は世の中で幸いを求めていますが、そこには不幸が隠されてあり、
哀れさがあるのです。
この世での報いを受けすぎるとき、天においての報いを受けることは少ないと、
ここでは言われています。
神の国の生き方とは肉欲・貪欲に支配されずに生きることと、神への揺るがない信仰が
必要です。
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