top of page
  • 執筆者の写真faith

11月27日(日) 平和の君の誕生

イザヤ書9章1~8節


今日からアドベントに入ります。主なるイエス・キリストは

イスラエルの民が待ち望んだ救い主です。

そして、紀元前700年頃に預言者イザヤにも預言されていた

救い主であり、そこでそのお方は「平和の君」と呼ばれるとあります。


Ⅰ、この世にはびこる暴力

この世には多くの暴力があります。

(1)親しい関係における暴力

あってはならないのですが、家族や友人からの暴力を経験して

おられる方もいます。

(2)文化、メディアにおける暴力

現在ゲームや漫画など暴力的内容があったり、出版・報道における

暴力もあります。

(3)社会生活における暴力

いじめ、ハラスメント、誹謗中傷など、死刑制度での処罰。

(4)地球規模の暴力

武力紛争を含む集団的暴力です。自国第一主義などナショナリズム、

経済格差など。


Ⅱ、非暴力が神のみこころ

救い主は「平和の君」と呼ばれるとあり、イエス・キリストご自身は

この世に平和をもたらすお方として来臨されたのです。

またイエス・キリストは「平和をつくる者は幸いです。」と語られました。

(マタイ5・9)

そして十字架上では「父よ、彼らをお赦しください。

彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」と祈られました。

(ルカ23・34)


Ⅲ、平和を実現する者へ

真に平和を実現することができるのは、主なるイエス・キリストを

救い主として信じる者たちです。

救い主を信じる者にはこの世に安心して生きることができます。

「娘よ、あなたの信仰が・・安心して行きなさい。」(ルカ8・48)

この「安心して」は、直訳すれば「平和のうちに」です。

閲覧数:5回0件のコメント

最新記事

すべて表示

使徒の働き2章1~4、14節 本日はペンテコステ礼拝です。ペンテコステとはギリシヤ語で50を意味します。 主イエスが復活された日を一日目として数えて、その日50日目に一つ所に 集まっている弟子たちに聖霊が注がれたのです。 その聖霊が臨まれた時は(1節)生と死を思う時でした。 弟子たちは主イエスの十字架の死と復活を知りますが、まだ完全に回復しているとは 言えない状態です。傷をももっている状態です。ま

ルカの福音書8章22~25節 8章8節のイエスが大声で言われた姿も印象的ですが、ここでの「あなたの信仰は どこにあるのですか」という言葉はどきっとする言葉です。 舟が突風で揺れていて不安な弟子たち、そして、そのなかでイエスは眠っています。 今、弟子たちは闇に飲まれ、死の陰が見え隠れしていたのです。 私たちの人生のなかで闇に飲まれること、死の陰が見え隠れする時が幾度かあると思い ます。今がその時かも

出エジプト記20章12節 本日は母の日礼拝ですので、十戒の教えである「あなたの父と母を敬え」から 説教を致します。 キリスト教がこの世に出現するにはそれだけの根があり、土台があったのです。 イエスが言われた次のみ言葉は重みがあります。「わたしが律法や預言者を破棄する ために来た、と思ってはなりません。破棄するためではなく成就するためである。」 との言葉です。(マタイ5・17) イエスはすでに律法と

bottom of page