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◆12月4日(日) 「永遠の父と呼ばれる方の誕生」

更新日:4月11日

イザヤ書9章1~8節


先週日曜日からアドベントに入ります。

ともに主なるイエス・キリストのご降誕のクリスマスの日を待ち望みましょう。

先週同様に今日もイザヤ書9章より「永遠の父」と呼ばれる方の誕生の預言を

お伝えします。


Ⅰ、「永遠の父」と呼ばれる(6節)

この預言は神の御子イエス・キリストの誕生ではないか。

しかし、イザヤは「永遠の父」と呼ばれると預言します。

一つは私たちの救い主は永遠なるお方です。永遠におられるお方、永遠の神です。

「イエスは、永遠にメルキゼデクに等しい大祭司として、わたしたちのために

さきがけとなって、はいられたのである。」(ヘブル6・20、口語訳)


第二に父の性質に優しさがあります。ルカの福音書でイエス・キリストの語る、あの

たとえ話の放蕩息子の父のように、慈悲深さもある優しさです。


第三に父の性質は民に対する父の関係を示しています。(イザヤ63・16.64・8)。

みどりごがイスラエルの民に対する保護者、統治者であることを示し、そこには

公正で思いやりに満ちた父の姿があります。


第四に父の性質は主の贖い主です。


Ⅱ、永遠に生きる者へ

この「永遠の父」と呼ばれるお方を救い主と信じるとき、私たちも永遠の命を

得る者とされ、隣人に対して憐れみ深い人へと変えられるのです。

マザーテレサは愛の反対は無関心と言われましたが、私たちの周りには孤独な人、

絶望の叫びをしている人、貧しい人たちがいます。

その人たちに愛を与えることのできる者これが神のみこころです。

「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。」(マルコ12・31)

救い主イエス・キリストに出会った人生は新しい人生が始まり、愛を与える人生に

変えられるのです。

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