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2月19日(日) 良い実を結ぶために

ルカの福音書6章43~45節


イエス・キリストの平野の説教はさらに続きます。

ここでの主題は、私たちキリスト者は良い実を結ぶために、神から選ばれ、導かれているということです。


Ⅰ、イエス・キリストに接ぎ木されている私たち

良い木であるイエス・キリストご自身に、私たちキリスト者は接ぎ木されていることを

いつも覚えたいと思います。


時には私たちがキリスト者として、良い枝であるかどうかに

とらわれすぎて、イエス・キリストに接ぎ木されていることを見失うことがあります。


イエス・キリストは言いました。「わたしにとどまりなさい。」(ヨハネ15・4)と。

とどまる時、良い木なるイエス・キリストと私たちは一体なのです。


Ⅱ、良い実を結ぶために

ただ、イエス・キリストにとどまり、つながっていれば安心というわけではありません。

良い実を結ぶためにも、私たちは日々、手入れが必要です。(ヨハネ15・2)

その手入れとは「刈り込み」であり、主の言葉によります。


主の言葉を日々、蓄えること。

時には主の言葉が火となり、焼き尽くすことがあります。(エレミヤ5・14)

蓄える言葉としては、慰めと癒しの言葉だけではないのです。しかし、それは良い実を結ぶためには必要なことです。


そして、「その良い実とは何か」というと、ガラテヤ人への手紙5章22,23節の「御霊の実」です。

その実は具体的には「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」です。


そして、私たちが良い実を結ぶことで、宣教のみ業が進むのです。私たちキリスト者は、

イエス・キリストの証人であるからです。


今や世界は大きな転換期にあります。どんな世界が始まるのか。不安の中にあります。

御霊の実を結ぶ者は、現代の希望の人となれるのです。

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