ルカの福音書18章6~8節
ルカの福音書18章が、
主イエスが弟子たちに語られたことだと思うとき、
8節の御言葉にはどきっとさせられるのです。
主イエスの弟子たちには信仰をもっていると思われますが、
Ⅰ、再臨は主イエスの約束
人の子が来るときというのは最初の初臨ではなく、
再臨のことをさします。
主イエスは復活したのち、昇天され、
天の座におられるのですが、
再びこの地上に来られるのです。
その時は恵みの時でもありますが、
裁きの時でもあります。
いつ、来られるのかは分からないので、
寝ている時に来られることもあると
主イエスは17章で語ります。
「あなたがたに言いますが、その夜、
同じ寝床で人が二人寝ていると、
一人は取られ、もう一人は残されます。」と。
神の救いは個人の救いで、ペアの救いではない、
また「死体のあるところ、そこには禿鷹が集まります。」
(37)少し気味が悪い言葉ですが、
禿鷹は裁きを指す言葉です。
再臨はまだ主イエスが約束したことで、
まだ実現していません。
しかし、必ず主の再臨はあります。
恩師の山田晴枝師は再臨信仰の人でした。
「アーメン、主イエスよ、来てください。」と祈られました。
(ヨハネ黙22・20)
Ⅱ、再臨のときに信仰を持っている人がどれだけいるのか
8節の主イエスの心配事はそのことです。
再臨のときに信仰を持っている人が
どれだけいるのかです。
「人の子が来るとき」は再臨の意味です。
どんな境遇であっても、
主イエスから目を離し、主イエスへの信仰がないときは
再臨のときに神の裁きを受けるのです。
弟子のヨハネは言います。
最初に主イエスが来られたとき、
「この方はご自分のところに来られたのに、
ご自分の民はこの方を受け入れなかった。」
(ヨハネ1・11)
再臨の時は弟子たちがどうであるか、
主イエスの弟子への心配事なのです。
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