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◆2月9日(日)「私たちのただ中に」

  • 執筆者の写真: faith
    faith
  • 2月9日
  • 読了時間: 2分

ルカの福音書17章20~37節

 

今日の聖書箇所から

「私たちのただ中に」という題で説教を致します。


Ⅰ、不安な時代がきている

主イエスが活動していた時代は、

先が見えない不安な時代でした。

いつまでローマの支配下にあるのか、自由な時が来るのか、と。


今の時代も同じではないでしょうか。

不安な時代です。

闇と混沌があり、国と国との争いが、

核への怖れもあります。

被爆国日本は、平和を世界にアピールする国でなければ

いけないと思います。


Ⅱ、絶望感が漂っている。

あのパリサイ人が主イエスに質問します。

パリサイ人は主イエスを十字架につけた

人たちであり、クリスチャンには敵と思われる

人たちです。


しかし、彼らはまじめに律法を守り、

神の国の支配を待ち望んでいました。

しかし、その祈りが答えられない。


私たちも祈りが聞かれないときには、

神さえも、私たちを見捨てたのかと、

思わずにはいられないこともあるのではないでしょうか。

そんな時には神がいないとさえ思ってしまいます。

神がいないと思うと、そこには絶望があるのです。


しかし、神は今も生きておられるのです。

そのなかに主イエスは言われます。

神の国はもう来ていると。

神の国はもうすでに始まっているのです。


Ⅲ、神の国は私たちのただ中に

神の国とは神が支配される国です。

神の国は、主イエスを信じる者たちの

ただなかにあるのです。


しかし、ここでは、

パリサイ人たち、弟子たちの前で、

主イエスが言われたことに意味があるのです。


主イエスが私たちに求めているのは、

神の国はもうすでに

主イエスを信じている者のなかにあることを信じること、

そこから始まっているのです。


神の国は一人だけではなく、集団でもあります。

見る世界は混沌と闇がある世界で、

私と私たちが共に祈ろうとしている人たちのなかで、

神の国は始まっているのです。

私たちは世の光として生きる使命があるからです。

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