top of page

◆3月19日(日) 「恵みのみわざ」

  • 執筆者の写真: faith
    faith
  • 2023年3月19日
  • 読了時間: 2分

更新日:2024年4月11日

ルカの福音書7章1~10節


先週の礼拝で、同じ聖書箇所より「み言葉の力」と題して説教をしました。

確かにここはそのような内容でしょう。しかし、別の視点から見てみると、今日お話しするようにも理解できるのです。

イエスがなされたわざはすべてといっていいほど恵みのみわざなのです。

そして、人は神の恵みによって救われ、生きるのです。イエスの十字架も私たちが罪から救われるためなのです。


Ⅰ、資格のない者に与える恵み

神の恵みとは、資格のない者に与えられる資格です。

ユダヤ人と異邦人とは交わりがありませんでした。交わりがあっても純粋な愛の交わりではありません。この百人隊長も、ユダヤ人の長老から信任を受けてはいましたが、自分は

異邦人であるゆえに、心からの愛の交わりがなかったことを知っていました。

ですから、ここで「資格はありません」(6節)と言ったのです。しかし、イエスはこの

百人隊長の部下の命を救ったのです。ですから恵みのみわざなのです。


Ⅱ、資格がないことを知った者に与えられる恵み

私たちも、たとえキリスト者であったとしても、自分に「神の子」と呼ばれる資格がないということを悟ることがなければ、神の救いにはあずかれても恵みの中に生きることは

できません。

放蕩息子も「息子と呼ばれる資格はありません。」と言いました。(ルカ15・19)。

私たちキリスト者は、神の教会の奉仕をすることで救いがあるのではないのです。

奉仕が出来なくても、神の愛はいつも注がれています。また、礼拝にあずかることも

尊い奉仕なのです。

あのイエス・キリストの十字架が私たちの罪の身代わりであり、もう既に私たちの罪が

赦されているのですから。私たちキリスト者は罪人であることを認め、十字架の血潮を

賛美し、ただ感謝すればいいのです。(Ⅰヨハネ1・8,9)

最新記事

すべて表示
◆3月30日(日) 「受難の予告」

ルカの福音書18章31~34節 3月5日から4月19日までレント(受難節)で、 主イエスの十字架の死と苦しみを、特に覚える時です。 ルカの福音書で三度目となる、 主イエスの受難予告の御言葉を共に味わいましょう。 一度目と二度目は9章、17章にあります。...

 
 
 
◆3月23日(日) 「神のかたちとしての人間」

メッセンジャー:宮崎星人神学生 創世記1章26~28節 本日は、創世記1章26節から27節の御言葉から、 恵みにあずかりましょう。 この箇所は神が人を創造された箇所です。 人を創造する前は、神は天と地、光と闇、 地に植物や動物を創造されました。...

 
 
 
◆3月16日(日) 「あなたに欠けていること」

ルカの福音書18章18~23節 ある指導者が主イエスに質問しました。 「良い先生。何をしたら、私は永遠のいのちを 受け継ぐことができるでしょうか。」(18)と。 ある指導者は指導的立場があり、社会的地位、 財産もあった人ですが、主イエスをためすためではなく、...

 
 
 

Comments


Youtube礼拝動画はこちら▶

  • Black Facebook Icon
  • Black Pinterest Icon
  • Black YouTube Icon
  • Black Instagram Icon
bottom of page