top of page
  • 執筆者の写真faith

◆3月19日(日) 「恵みのみわざ」

更新日:4月11日

ルカの福音書7章1~10節


先週の礼拝で、同じ聖書箇所より「み言葉の力」と題して説教をしました。

確かにここはそのような内容でしょう。しかし、別の視点から見てみると、今日お話しするようにも理解できるのです。

イエスがなされたわざはすべてといっていいほど恵みのみわざなのです。

そして、人は神の恵みによって救われ、生きるのです。イエスの十字架も私たちが罪から救われるためなのです。


Ⅰ、資格のない者に与える恵み

神の恵みとは、資格のない者に与えられる資格です。

ユダヤ人と異邦人とは交わりがありませんでした。交わりがあっても純粋な愛の交わりではありません。この百人隊長も、ユダヤ人の長老から信任を受けてはいましたが、自分は

異邦人であるゆえに、心からの愛の交わりがなかったことを知っていました。

ですから、ここで「資格はありません」(6節)と言ったのです。しかし、イエスはこの

百人隊長の部下の命を救ったのです。ですから恵みのみわざなのです。


Ⅱ、資格がないことを知った者に与えられる恵み

私たちも、たとえキリスト者であったとしても、自分に「神の子」と呼ばれる資格がないということを悟ることがなければ、神の救いにはあずかれても恵みの中に生きることは

できません。

放蕩息子も「息子と呼ばれる資格はありません。」と言いました。(ルカ15・19)。

私たちキリスト者は、神の教会の奉仕をすることで救いがあるのではないのです。

奉仕が出来なくても、神の愛はいつも注がれています。また、礼拝にあずかることも

尊い奉仕なのです。

あのイエス・キリストの十字架が私たちの罪の身代わりであり、もう既に私たちの罪が

赦されているのですから。私たちキリスト者は罪人であることを認め、十字架の血潮を

賛美し、ただ感謝すればいいのです。(Ⅰヨハネ1・8,9)

閲覧数:15回0件のコメント

最新記事

すべて表示

◆8月11日(日)「想定内だけど」

ルカの福音書15章1~7節 「想定内」、「想定外」と言う言葉が 東北の震災後によく使われた言葉です。 特に「想定内」は、政治家や長の立場の人が 「リスクはあるが目標数値をあげる」ときに使用する言葉です。 Ⅰ、現代の社会は想定内です。...

◆8月4日(日) 「大切なのは気づき」

ルカの福音書14章34~35節 ルカの福音書14章34,35節の並行記事として マタイの福音書5章13節があります。 その後の14節を重ねると、クリスチャンは「地の塩」、 「世の光」と主イエスは言われます。 それはクリスチャンの目標でもあり本質でもあります。...

◆6月2日(日)「悔い改めと和解の主イエス」

ルカの福音書12章48~59節 古くから 「朝焼けは雨、夕焼けは晴れ」と言われます。 主イエスの言葉を聞いている群衆も、 空や風を見て、天気を予測していたこと でしょう。 現代は天気予測がほぼ正確に なされてきていますが、 当時はそのようなことではなく、...

Comentários


bottom of page