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3月26日(日) 近づきたもうキリスト

ルカの福音書7章11~17節


本日の箇所はルカの福音書だけに載っている箇所です。

イエスはナインの町に弟子たちや多くの群衆と一緒に行かれました。

そして町の門の所に近づきます、この門とは、町全体が城壁のようにとり囲まれており、

守りのためのものでした。出入口に門があるのです。

日本は島国で他国により占領されたことがありません(沖縄県はあります)。

ですから町の周りに城壁がないのですが、大陸ではあるのです。

そして、その場所で、ある母親の一人息子が死んでかつぎ出されたところで、イエスと

出くわしたのです。


Ⅰ、同情されるイエス

イエスはこの母親に同情します。その母親をかわいそうと思い、深くあわれみます。

(13節)イエスはその女性が立派な女性だから、信仰深いからというのではなく、

ただこの母親を見て、あわれみをもたれたのです。

ここで重要なことはイエスが先にこの母親に近づいて行ったことです。

誰もイエスに願ったのではありません。イエスが一方的にその母親を見て、深くあわれみをもたれたのです。先週の百人隊長のしもべの死にかかった病の癒しとは違います。


Ⅱ、「もう泣かなくてもよい」と言われたイエス

この棺にイエスは手を置き、「若者よ、起きなさい。」と言われたのです。

死人に命令しているのです。そして、その死人が生き返ったのです。死人に命令とはいかがかなと私たちは思いますが、ここで驚くべき出来事が起こったのです。

死人が生き返り、ものを言い始めたのです。まさにイエスの言葉の力です。

イエスにおいては絶望ということがありません。そしてその御業(みわざ)は、私たちが立派だから為されるのではなく、ただイエスのあわれみによるのです。そのことに、私たちは

慰めを受けるのです。私たちの救いも、主のあわれみ以外にないのです。

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