top of page

◆3月9日(日) 「神の国に入る者」

  • 執筆者の写真: faith
    faith
  • 3月9日
  • 読了時間: 2分

ルカの福音書18章15~17節


この箇所では、たとえ話ではなくて、主イエスに触れていただきたくて、人々が幼子たちを連れてきたことが記されている。その時、主イエスはこのようになされた。


Ⅰ、幼子たちを呼び寄せた。(16節)

人々が幼子たちを主イエスのもとに連れてきた時、

弟子たちは「見て叱った。」(15)とあります。


弟子たちは主イエスの大切な時間をとられることになるので、

それで叱ったのか、

または、主イエスの働きは幼子たちのためではないと、

幼子たちを軽く見ておられたのか。


しかし、主イエスは弟子たちとは違い、

その幼子たちを呼び寄せたのです。


主イエスはつねに招くお方です。

主イエスは、当時の人間の価値観とは違うレベルで、

女性、取税人、幼子たちを愛し、招くお方でした。


当時のユダヤの社会は労働力で人をはかっていたようです。

ですから、子どもや病人は労働ができないために、

低くみられていたようです。


そのことは現代においてもいえることで、

競争社会、格差社会の日本において、

弱い立場の人の権利がまだまだ低いように思えます。


また、「イエスは幼子たちを呼び寄せて」(16)

というところからは、主イエスの幼子への深い愛があるとわかります。


Ⅱ、子どものように神の国を受け入れる者になれ(17節)

ここで主イエスは神の国に入る者について述べています。

それは「子どものように・・受け入れる者」(17)であると。


ここでの子どもは幼子とは違い、乳飲み子を指します。

乳飲み子はただ母乳を吸うだけ、受け取るだけ、

あてがわれたものを無心に受け入れるだけです。


またそれはあまりにも無力で、

人の助けがなければ生きていけない存在です。


ですから神の国に入る者は、自分で強く生きる者ではなく、

乳飲み子のように自分の弱さを知り、神により頼む者、

神が与えるものを二心なく素直に受け取る者です。


つまり、神の国とは、大人も子どもも、

差し出されたものを単純素朴に無心に受け取る者、

そういう者の国なのです。

最新記事

すべて表示
◆3月30日(日) 「受難の予告」

ルカの福音書18章31~34節 3月5日から4月19日までレント(受難節)で、 主イエスの十字架の死と苦しみを、特に覚える時です。 ルカの福音書で三度目となる、 主イエスの受難予告の御言葉を共に味わいましょう。 一度目と二度目は9章、17章にあります。...

 
 
 
◆3月23日(日) 「神のかたちとしての人間」

メッセンジャー:宮崎星人神学生 創世記1章26~28節 本日は、創世記1章26節から27節の御言葉から、 恵みにあずかりましょう。 この箇所は神が人を創造された箇所です。 人を創造する前は、神は天と地、光と闇、 地に植物や動物を創造されました。...

 
 
 
◆3月16日(日) 「あなたに欠けていること」

ルカの福音書18章18~23節 ある指導者が主イエスに質問しました。 「良い先生。何をしたら、私は永遠のいのちを 受け継ぐことができるでしょうか。」(18)と。 ある指導者は指導的立場があり、社会的地位、 財産もあった人ですが、主イエスをためすためではなく、...

 
 
 

Comments


Youtube礼拝動画はこちら▶

  • Black Facebook Icon
  • Black Pinterest Icon
  • Black YouTube Icon
  • Black Instagram Icon
bottom of page