top of page
  • 執筆者の写真faith

4月2日(日) 十字架のことば

ルカの福音書23章34節


本日の礼拝は、棕櫚の聖日礼拝で、イエスがエルサレムへ入場された日です。

今日から一週間を受難週と呼び、イエスの十字架を深く覚える週です。


イエスは「されこうべ(どくろ)」いう不吉な名前の場所で十字架につけられたのです。

二人の強盗とイエスは十字架を背負い、この場所へ来たのです。途中、イエスは倒れそうになったので、ローマ兵は、無理やり、クレネ人シモンという人に十字架を背負わせました。


この十字架の刑は極悪人か、政治犯がかかるでした。イエスは正しい裁判を経ないで、

十字架にかけられたのです。ローマ帝国では何人もの罪人をまとめて処刑することが通例

だったそうです。


このイエスの十字架上では7つの言葉をイエスは言います。その最初の言葉がルカの福音書23章34節の言葉、「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです」で、この言葉は、


Ⅰ、愛を示しています。

イエスはその前夜に弟子たちの足を洗い、最後の晩餐を致します。イエスは、裏切ることになるユダの足まで洗い、極みまでの愛を弟子たちに示します。

そして、ここではローマの兵士や、あざけり罵声を放つ群衆のためにも、愛を示しているのです。

イエスの十字架は神と罪人との仲保者として、とりなしの祈りをささげているのです。


Ⅱ、救いを示しています。

「十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力

です。」とパウロは言います。(Ⅰコリント1・18)

十字架にかかられたイエスを信じる者たちは、滅びから救われ、また救われた者にとっては、それは神の力であると。

ヨハネは、十字架で裂かれた御からだから流れた血は、罪人の汚れを清めると言いました。「御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。」と。(Ⅰヨハネ1・7)

閲覧数:2回0件のコメント

最新記事

すべて表示

使徒の働き2章1~4、14節 本日はペンテコステ礼拝です。ペンテコステとはギリシヤ語で50を意味します。 主イエスが復活された日を一日目として数えて、その日50日目に一つ所に 集まっている弟子たちに聖霊が注がれたのです。 その聖霊が臨まれた時は(1節)生と死を思う時でした。 弟子たちは主イエスの十字架の死と復活を知りますが、まだ完全に回復しているとは 言えない状態です。傷をももっている状態です。ま

ルカの福音書8章22~25節 8章8節のイエスが大声で言われた姿も印象的ですが、ここでの「あなたの信仰は どこにあるのですか」という言葉はどきっとする言葉です。 舟が突風で揺れていて不安な弟子たち、そして、そのなかでイエスは眠っています。 今、弟子たちは闇に飲まれ、死の陰が見え隠れしていたのです。 私たちの人生のなかで闇に飲まれること、死の陰が見え隠れする時が幾度かあると思い ます。今がその時かも

出エジプト記20章12節 本日は母の日礼拝ですので、十戒の教えである「あなたの父と母を敬え」から 説教を致します。 キリスト教がこの世に出現するにはそれだけの根があり、土台があったのです。 イエスが言われた次のみ言葉は重みがあります。「わたしが律法や預言者を破棄する ために来た、と思ってはなりません。破棄するためではなく成就するためである。」 との言葉です。(マタイ5・17) イエスはすでに律法と

bottom of page