ルカの福音書24章1~12節
本日の礼拝はイースター礼拝で、イエスが十字架にかかり三日目に復活された日を祝う日
です。
キリスト者はこのイエスの復活を信じています。それにより、どんな時代になろうとも
未来に希望がもてるのです。私たちの死も終着駅ではないのです。
ルカの福音書には、この復活の出来事も明確に書かれています。
Ⅰ、墓が空であった。(3節)
イエスを慕う女性たちは、イエスが埋葬された墓に行きます。墓の場所は、前もって知っていたのでしょう。迷わずにその場所に行きます。しかし、その墓にイエスの死体はありませんでした。墓は空であったのです。死体に香料を塗るために、墓に来た女性たちは驚いた
ことでしょう。
空虚な墓は「イエスが死人の中からよみがえられなければならないという聖書」(ヨハネ20・9)のみことばを示しています。
天使も言います。「ここにはおられません。よみがえられたのです。」と(6)。
Ⅱ、弟子たちも信じられなかった。(11節)
女性たちはそのことで、イエスが言われた言葉を思い出します。そして、弟子たちに伝えるのです。しかし、イエスの弟子たちは信じることができません。だが、ペテロだけは墓に行き、身をかがめて、見たのでした。そこには「亜麻布しかなかった。」のです。
まだイエスの言葉を思い出せないペテロです。しかし、ペテロは今まで多くの失敗をして、自分の思いとイエスの思いとが違っていたことを経験していたので、ペテロのみ、その場所へ行ったのです。
復活は奇跡です。しかし、ルカの福音書はそれが事実であることを示しており、私たちも、イエスの弟子たちや女性たちに現れた復活されたイエスと出会うのです。
絶望の日を迎えても朝は来ます。日曜日の朝は、復活されたイエスの言葉を聞くことが
今でもできるのです。
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