ルカの福音書12章31~48節
本日は主イエスのたとえ話ですが、
御国についての主イエスの考え方でもあります。
多くのクリスチャンは再臨の話だというのですが、
それも間違いではなく、
確かにこの聖書箇所を読むと、その思いになります。
主の再臨がいつの日か誰もわからないので
「目を覚ましている」(37節)必要があるのです。
しかし、それだけではなく、御国について、主イエスはここで示したいのです。
Ⅰ、御国の土台
御国の土台は教会です。
教会はキリストのからだであり、
御国は「既にある御国」と、「今からくる御国」の2通りです。
「既にある御国」とは、
私たちが主イエスを信じる時、
神の子とされ、教会の教会員とされることです。
「今からくる御国」とは、
主イエスの再臨の時に完成される御国のことです。
それまでは、教会の働きの中で、
御国での「先取りの恵み」がそこにあるのです。
神の国は神が支配している場所であり、
教会は神の宮であり、
聖霊の宮(Ⅰコリント6・19)でもあるのです。
また教会は神と出会う場所でもあるのです。
これらのことから御国の土台は教会であると言えます。
つまり、御国とは「既にある御国」と、
「今からくる御国」の2通りと分けられ、
思いがけない時、再臨があります。
再臨の時はずっと先の話と思わずに、
「主の日は近い」と意識して、
神は人々を教会へ招いておられるのです。
私たちも意識して宣教を致しましょう。
Ⅱ、御国の秩序
御国の秩序は愛と赦しです。
「むしろ、あなたがたは御国を求めなさい。」とありますが、
そこには愛し得ない人を愛し、赦し得ない人を赦し、
生きる姿があるのです。
主イエスは言われます。
「多く与えられた者はみな、多くを求められ、
多く任された者は、さらに多くを要求されます。」(48)
クリスチャンは、愛と赦しを多くの人に示す使命があるのです。
そのためにクリスチャン自身が、「聖霊の宮」となる必要があるのです。
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