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◆6月25日(日) 主の言葉の現れ

ルカの福音書8章40~56節


ヤイロの娘と出血の止まらない女の癒しの物語、どちらの奇跡も

大変印象深き話です。

そして、その二つがばらばらにみえる物語にもいくつかの共通点があります。

それは、


Ⅰ、二人の者が絶望的であること

当時、女性の地位は低く、家族以外に誰も顧みることがないなかで、

イエス・キリストのみ違う扱いをされました。

主なる神とはあわれみ深いお方であることをその二つの物語は示しているのです。

この二人の者が絶望的であることは、12年という長い間の病の戦いの期間、

そして、娘の父親がイエス・キリストの前でひれ伏すという行為からも

みてとれます。


Ⅱ、イエス・キリストを癒し主とみておられること

ヤイロも出血の止まらない女も、イエス・キリストを癒し主としてみていたこと。

「すると、ただちに出血が止まった。」(44節)

「少女はただちに起き上がった。」(55節)

イエス・キリストは癒し主なのです。旧約聖書にも「その打ち傷のゆえに、

私たちは癒やされた。」(イザヤ書53章5節)とあります。

当然、その打ち傷はイエス・キリストの十字架によるものです。

旧約聖書の多くの箇所が主なる神が癒し主であることを示しています。


Ⅲ、「ただ信じなさい」という信仰が必要

宗教改革者たちはみな「信仰による救い」を強調しています。

義認(神から義と認められること)は、イエス・キリストを信じることで

与えられるものです。

ですから信じる者と信じない者とのギャップは大きいのです。

現代の教会は神の恵みのなかに立っています。

そして、信仰告白によって成立しています。

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