ルカの福音書8章26~39節
イエス・キリストがガリラヤ湖の対岸に渡った時、服を身につけず、
裸で墓場に住んでいたゲラサ人の男がやって来て、イエス・キリストを迎えたのです。
彼は悪霊につかれ、苦しむ男でしたが、イエス・キリストはその悪霊を追い出し、
元の場所に返されました。(38)
そのゲラサ人の男にイエス・キリストがなされたことは、私たち自身に起こった事でも
あります。
Ⅰ、罪の奴隷であったこと
すべての人は罪人で、罪の奴隷です。「罪を行っている者はみな、罪の奴隷です。」
(ヨハネ8・34)
ゲラサ人の男は悪霊に苦しみ、鎖でつながれ、足かせをはめられた男でした。
私たちも正しいことをしたいと思ってもできなかったり、律法を守ることができない
存在です。やめたくでもできない罪の奴隷なのです。
私たちは、自分の力では本当の自由を得る事はできないのです。
Ⅱ、自由とされます。
ルターは『キリスト者の自由』という本を出版しましたが、イエス・キリストも
言われました。「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」
(ヨハネ8・32)と。
ゲラサ人の男の悪霊をイエス・キリストは追い出し、自由とされたのです。
真の自由を得る事はイエス・キリストの力しかできないみ業です。
Ⅲ、故郷で主の証し人
ゲラサ人の男はイエス・キリストの弟子として招かれませんでした。
イエス・キリストに、「お供をしたいとしきりに願った。」とありますが、
故郷に帰り、イエス・キリストの証し人として生きるよう命令されました。
私たちも、故郷で生きるのか、また弟子のように家や職を離れてイエス・キリストに
従うかは、それは神がお決めになる事です。
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