「長老、祭司長、律法学者」は、福音書にたびたび登場します。
当時このトリオは、
ユダヤの「最高法院(サンヘドリン)の
最も重要なメンバーであったのです。
彼らが必死になって主イエスを捕らえ、
殺そうとしたのはなぜでしょうか。
山上の垂訓に見られるように、
彼らには主イエスが、
律法を破っており、神を冒涜していると思えたからです。
Ⅰ、主イエスの覚悟
口語訳聖書では、22節に「必ず」という言葉があります。
そのギリシヤ語は「デイ」という言葉で、
神の必然性を示しています。
「必ずそうであらねばならないもの」として
主イエスは決めていたのです。
Ⅱ、主イエスの厳しい命令
主イエスは、「自分を捨て、自分の十字架を負って
わたしに従いなさい。」と弟子たちに言われました。
主イエスは弱き者、小さき者を特別に愛されました。
たとえ自分が罪人と言われても、
彼らの尊厳を守ったお方です。
私たちも主イエスのように生きるとき、
真の祝福を受けることになるのです。
Ⅲ、エゴイズムの先は滅びです。
エゴイズムとは自己中心主義です。
主イエスは言います。
エゴイズムで全世界を得てもむなしいと。
現在の地球環境の崩壊は、
人間の高慢とエゴイズムの先の世界を意味しています。
クリスチャンが神を愛し、
隣人を愛していくとき、
この世界は素晴らしい世界へと移り変わるのです。
現代の危機の時代は、
人間に、自己中心主義から神中心主義へ転換することを
求められているのです。
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