ルカの福音書15章1~7節
「想定内」、「想定外」と言う言葉が
東北の震災後によく使われた言葉です。
特に「想定内」は、政治家や長の立場の人が
「リスクはあるが目標数値をあげる」ときに使用する言葉です。
Ⅰ、現代の社会は想定内です。
主イエスはこの「想定内」という言葉を嫌う方だと思われます。
主イエスは現実のユダヤの社会では考えられないことを語り、
実行をされるお方です。
この主イエスのたとえ話も、
99匹の羊を置いて迷い出た1匹を探し求めることは
現実ではあり得なません。
世においてはそのような羊飼いは愚かな羊飼いです。
1匹ならば仕方がない。
他の動物に食べられたのかも知れないと思う話です。
現代の日本社会でも、忘れられがちですが、
差別を受けている人たちは多くいるのです。
日本には自殺者が昨年約2万人、
兵庫県では今年の1~6月で421人です。
いじめを受けている学生は全国では数え切れません。
孤独死は昨年度6万8千人です。
教会は、そのような人々を「想定内だ」と
言ってはいけないのではないでしょうか。
Ⅱ、1匹を探し求める主イエス
この話はたとえ話ではありますが、主イエスのみこころです。
主イエスは時代や、社会に取り残されている人たち、
排除されている人達を決して見捨てず、
「能無し」「役立たず」などと思わないお方です。
この聖書箇所では、
自分が持っているものに対する眼差しではなく、
自分自身に対する神の眼差し、
私たちを救わんとする神の愛の眼差しを覚えましょう。
また主イエスは愚かな羊飼いでないのです。
主イエス自ら、「わたしはよい羊飼いである。
よい羊飼いは、羊のために命を捨てる。」
(ヨハネ10・11、口語訳)と語られたのです。
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