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◆8月11日(日)「想定内だけど」

ルカの福音書15章1~7節


「想定内」、「想定外」と言う言葉が

東北の震災後によく使われた言葉です。


特に「想定内」は、政治家や長の立場の人が

「リスクはあるが目標数値をあげる」ときに使用する言葉です。


Ⅰ、現代の社会は想定内です。

主イエスはこの「想定内」という言葉を嫌う方だと思われます。


主イエスは現実のユダヤの社会では考えられないことを語り、

実行をされるお方です。


この主イエスのたとえ話も、

99匹の羊を置いて迷い出た1匹を探し求めることは

現実ではあり得なません。

世においてはそのような羊飼いは愚かな羊飼いです。

1匹ならば仕方がない。

他の動物に食べられたのかも知れないと思う話です。


現代の日本社会でも、忘れられがちですが、

差別を受けている人たちは多くいるのです。

日本には自殺者が昨年約2万人、

兵庫県では今年の1~6月で421人です。

いじめを受けている学生は全国では数え切れません。

孤独死は昨年度6万8千人です。

教会は、そのような人々を「想定内だ」と

言ってはいけないのではないでしょうか。


Ⅱ、1匹を探し求める主イエス

この話はたとえ話ではありますが、主イエスのみこころです。

主イエスは時代や、社会に取り残されている人たち、

排除されている人達を決して見捨てず、

「能無し」「役立たず」などと思わないお方です。


この聖書箇所では、

自分が持っているものに対する眼差しではなく、

自分自身に対する神の眼差し、

私たちを救わんとする神の愛の眼差しを覚えましょう。


また主イエスは愚かな羊飼いでないのです。

主イエス自ら、「わたしはよい羊飼いである。

よい羊飼いは、羊のために命を捨てる。」

(ヨハネ10・11、口語訳)と語られたのです。

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