ルカの福音書9章28〜43節
イエスと3人の弟子たち一行が
山を下りてくると、
大勢の群衆が主イエスを
迎えました。
その群衆の中には
悪霊に取りつかれていた
子どもの父親がいて、
以前弟子たちに、
悪霊を追い出して欲しいと
願ったが、できなかったと。
そこで山を下りてきた
主イエスに再度お願いしたのです。
ここではふがいない弟子たちの
姿が浮き彫りにされています。
Ⅰ、主イエスの変貌を前に恐れている弟子たち
主イエスが祈りをささげたときに、
その衣が白く輝いた姿や
雲が沸き起こり、
彼らを覆ったときも
弟子たちは恐ろしくなりました。
我を失う弟子たちの姿を
ここでみることができます。
Ⅱ、悪霊を追い出すことのできない弟子たち
悪霊に悩まされている
子どもの父親に、
弟子たちはお願いされたのですが、
それができなかったのです。
これらの弟子たちの姿には、
人間の無力さ、弱さ、
不信仰があらわされています。
主イエスも思わず、
「ああ、不信仰な
曲がった時代だ。」(41)
と言います。
しかし、最終的には
主イエスは、その息子から
悪霊を取り除かれたのです。
この出来事は、
現代の私たちクリスチャンに
いくつかのことを教えています。
①弟子たちのふがいない姿を
笑うことができないこと、
そして、
②弟子たちにとって
信仰が大切であったように、
私たちも信仰をもつことが
何よりも大事であること、
また、
③このような不信仰な時代、
曲がった時代にも
神の顧みは必ずあるということ、
そのことを信じることです。
一方的な主イエスの愛は、
弱き者、不信仰な者をも
救い出すことができるのです。
「にもかかわらずの」神、
憐み深い神なのです。
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