ルカの福音書9章28~36節
主イエスが山に登り栄光に輝かれた
変貌山の出来事を理解することは
非常に難しいです。
しかし、このことを通して
何を教えられているのかを知ることは、
私たち現代のクリスチャンにとって、
とても重要なことです。
この出来事の前に、ペテロの信仰告白と、
主イエスの受難予告がありました。
ぺテロにとっては自分自身がした、あの信仰告白
(イエスが神からのメシアであるとの告白)
でしたが、この変貌山での出来事はまぶしすぎて
Ⅰ、理解できない。
「自分の言っていることが分かっていなかった。」
(33)のです。
自分自身にがっかりしたのです。
人生の中でも、私たちクリスチャンが
がっかりするのは、
主イエスの考えや、主イエスのみ心を十分知ったり、
理解することが出来ない時です。
Ⅱ、変わることの必要性を知る
主イエスが栄光に輝く姿をみて、
「変わること」の必要性を弟子たちは知ったのです。
人はキリストに似ることが可能なのです。
もちろん、自分の力ではどうすることもできません。
人は簡単に変わることができないからです。
変わることができるとしたら
①それは愛によるのです。
命がけの愛に触れたときに変わることができるのです。
(エレミヤ31・3,Ⅱコリント5・14)
②それは祈りによるのです。(29)
祈りは神との交わりです。
主イエスも、父なる神と交わった時に輝いたのです。
祈りをささげるときに御霊の働きがあるのです。
Ⅲ、十字架・復活を知る。
主イエスが受難の予告を語っても、理解できない弟子達。
しかも最後まで理解できず、信じることができずにいます。
しかし、主イエスは弟子たちには、あらかじめ
そのことを伝えているのです。
山に登り、栄光に輝いたこともそのためでもあるのです。
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