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◆8月6日(日) 変わること

更新日:8月13日

ルカの福音書9章28~36節


主イエスが山に登り栄光に輝かれた

変貌山の出来事を理解することは

非常に難しいです。

しかし、このことを通して

何を教えられているのかを知ることは、

私たち現代のクリスチャンにとって、

とても重要なことです。


この出来事の前に、ペテロの信仰告白と、

主イエスの受難予告がありました。


ぺテロにとっては自分自身がした、あの信仰告白

(イエスが神からのメシアであるとの告白)

でしたが、この変貌山での出来事はまぶしすぎて


Ⅰ、理解できない。

「自分の言っていることが分かっていなかった。」

(33)のです。

自分自身にがっかりしたのです。


人生の中でも、私たちクリスチャンが

がっかりするのは、

主イエスの考えや、主イエスのみ心を十分知ったり、

理解することが出来ない時です。


Ⅱ、変わることの必要性を知る

主イエスが栄光に輝く姿をみて、

「変わること」の必要性を弟子たちは知ったのです。


人はキリストに似ることが可能なのです。

もちろん、自分の力ではどうすることもできません。

人は簡単に変わることができないからです。

変わることができるとしたら


①それは愛によるのです。

命がけの愛に触れたときに変わることができるのです。

(エレミヤ31・3,Ⅱコリント5・14)


②それは祈りによるのです。(29)

祈りは神との交わりです。

主イエスも、父なる神と交わった時に輝いたのです。

祈りをささげるときに御霊の働きがあるのです。


Ⅲ、十字架・復活を知る。

主イエスが受難の予告を語っても、理解できない弟子達。

しかも最後まで理解できず、信じることができずにいます。


しかし、主イエスは弟子たちには、あらかじめ

そのことを伝えているのです。

山に登り、栄光に輝いたこともそのためでもあるのです。

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