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◆7月16日(日) わたしをだれと言うか

ルカの福音書9章18~21節


イエスは、弟子たちの手にあるわずかな5つのパンと2匹の魚で、

5千人以上の人たちの腹を満腹させた奇跡の後、

弟子たちに質問されたのです。

その質問は「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」

(20節)でした。

そして弟子の一人シモン・ペテロが答えました。


Ⅰ、群衆たちの答え(18.19節)

イエスの周りにいた群衆は、イエスのことをバプテスマのヨハネとか、

エリヤ、昔の預言者の一人だとか言っていました。

しかし、弟子たちはさすがにそのように思っていなかったのです。


クリスチャンたちは、イエスがどういうお方がはっきり言えるでしょうか。

この世の人が思うイエスと違うイメージを持っていると確信します。

人間は長い歴史の中で罪を犯し、堕落してしまったため、

創造主なる神との関係が歪んでいるのです。

しかし、その関係を修復されたお方がイエスなのです。


Ⅱ、弟子ペテロの答え(20節)

弟子の中でペテロが答えます。

イエスのことを「神のキリストです。」(20節)と。


キリストとは職名でへブル語の「メシヤ」(油を注がれた者)の意味です。

旧約の時代では、預言者と祭司と王がその職に任じられたときに

任職の油が注がれたのです。

このことは新約の時代ではイエス・キリストに

3つの働きがあることを意味するのです。

「預言者としてのキリスト、

 大祭司としてのキリスト、

 王としてのキリスト」です。


私たちクリスチャンはイエスをだれと言うでしょうか。

他の福音書ではペテロはこのように答えます。

「あなたは生ける神の子キリストです。」(マタイ16・16)

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