top of page
  • 執筆者の写真faith

◆9/25(日)「夜を徹しての祈り」

更新日:4月11日

ルカの福音書6章12~17節


イエス・キリストの12使徒たちは、罪人と呼ばれる収税人、血に触れた汚れた者とさげすまれた漁師たち、愛国主義者である熱心党、そして裏切り者たちで、もう少し良き人材がいたのではと思わずにおられない人選でありますが、彼らがあの12使徒であります。


Ⅰ、夜を徹しての祈り

イエス・キリストは夜を徹して祈られました。夜を徹しての祈りは福音書のなかでは2箇所しかありません。この弟子の選任と十字架へと向かうゲッセマネの祈りです。ですからこの12弟子の人選はイエス・キリストにとって特別な祈りであったことがわかります。ある牧師は「主はこの祈りをしたかったのです。」と言われ、ハッとさせられたことがありました。時に、自分がなぜ今、クリスチャンになったのか、教会に来て礼拝をささげているのか不思議に思うことがあります。そこには主イエス・キリストの祈りがあり、選びがあるのです。「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。」(ヨハネ15・16)私たちクリスチャンはみな選びと任命を受けているのです。


Ⅱ、神の家族であることを支える祈り

あのイエス・キリストの12弟子は罪人ですが、罪を赦され、神の家族として受け入れられたのです。私たちクリスチャンも罪が赦され神の家族の一員です。いつまでも神の家族であるように主なるイエス・キリストはとりなし、支えてくださるのです。「したがってイエスは、いつまでも生きていて、彼らのためにとりなしておられる」(ヘブル7・25)

閲覧数:12回0件のコメント

最新記事

すべて表示

◆4月14日(日)「無関心は罪」

ルカの福音書11章45節〜54節 先週はパリサイ人に「わざわいだ」と主イエスは言いましたが、 ここでは律法の専門家たちにも「わざわいだ」と言います。 (11・42,43) なぜわざわい、不幸なのか。 両者に共通していることは、自分の欲を満たすことを最優先し、 「人々には負いきれない荷物を負わせる」からだと、 主イエスは言います。 私たちもこの主イエスの言葉を聞きましょう。 Ⅰ、自分をごまかし、正当

◆4月7日(日)「正義の実行のために」

ルカの福音書11章37~44節 先週はイースター礼拝でした。今週も復活の主をあがめて歩んでいきましょう。 熟練した陶工者は、暗闇の中でも自分のつくった器を見分けることが できるらしいです。 それは端正こめて、生み出したものであるからだそうです。 神も私たちを「神の作品」(エペソ2・10)として、 かけがえのない存在として創造されたのです。外見だけでなく、内側もです。 Ⅰ、主イエスの命令 主イエスは

◆8月20日(日) 顧みてくださる主イエス

ルカの福音書9章28〜43節 イエスと3人の弟子たち一行が 山を下りてくると、 大勢の群衆が主イエスを 迎えました。 その群衆の中には 悪霊に取りつかれていた 子どもの父親がいて、 以前弟子たちに、 悪霊を追い出して欲しいと 願ったが、できなかったと。 そこで山を下りてきた 主イエスに再度お願いしたのです。 ここではふがいない弟子たちの 姿が浮き彫りにされています。 Ⅰ、主イエスの変貌を前に恐れて

bottom of page